おはようございます!!
浅川智仁です。
去る11月15日は坂本龍馬の命日でした。
10歳の頃から敬愛する僕は、
今年で17年目となる、
「命日でのお墓参り」に行ってきました。
僕にとって覚悟と志を確認する、
一年でも決定的に重要な一日。
今日のメルマガは、
龍馬さんの信念が垣間見える、
そんなエピソードを紹介します。
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「たまたま訪ねてきた坂本龍馬、
中岡慎太郎、吉村寅太郎の三人に柿を出してやった。
龍馬は無言で手を伸ばして二、三個むしゃむしゃ食った。
中岡慎太郎は、ちらと見ただけで食おうともしなかった。
吉村寅太郎は、うちの柿よりもうまいです、とおせじを言って、
一個だけうまそうに食べた」
幕末の土佐藩において、
郷士という身でありながも異例の出世を遂げ、
一時期藩政を動かすまでの影響力を持った
土佐勤王党の盟主、武市瑞山(半平太)。
その妻であり、たくさんの志士たちを見てきた冨子は、
明治に入って、こんなエピソードを語っています。
ちなみにこれ、
坂本龍馬の生き方が垣間見える、
僕が大好きなエピソードです。
■知らないうちに縛られる「固定概念」
世の中の価値観や
「当たり前」だと思われる固定概念に対して、
柔軟で素直な疑問を持ち、
それを自ら解明していくという姿勢を
貫いていくことが坂本龍馬の生き方でした。
興味深いことに、
ただ『柿を食べる』ことにも、
それが表れている。
僕はこの逸話を読んでそう感じたんです。
そして改めて、
坂本龍馬という人間に魅了されてしまいました。
想像するに、
冨子から出された柿は、
決して美味そうには見えなかったのでしょう。
ですから中岡慎太郎は、
一見してそれを判断し、
手を伸ばしませんでした。
また、
本当にうまい柿であったのならば、
吉村寅太郎は、
更にもう一個食べたに違いありません。
そんな二人とは対照的に、
龍馬が二、三個無言で食べたのは、
「この中にもっとうまい柿があるはずだ」と、
探し求めていたと考えられます。
外見だけで判断せず、
外見から見えないところにも、
その真理を見出そうとしていた坂本龍馬。
そんな龍馬さんの生き様を感じずにはいられません。
これ故に、
龍馬さんは、敵味方、老若男女を問わず、
多くの人間に愛されたのだと思います。
見えないものを見ようとする坂本龍馬の生き方。
柿を食べるという一つのシーンにも、
しっかりと感じることができます。
本日も、
最後までお読みいただきありがとうございました。
行ってらっしゃい!