意思表示をしないことは、存在自体を示さないこと | 賢者は歴史から学ぶ

コラム

意思表示をしないことは、存在自体を示さないこと

■ 期日前投票に行ってきました

 

 

今週末に投開票を控えた東京都知事選です。

 

インパクトの大小がどうであれ、自分の意思表示ができる機会を行使しないことは、自分の存在自体を示さないことと同じことです。

 

たとえ支持する候補がいなければ、「支持者無し」という意思表示をする。

 

実際、僕もかつて投票用紙に、そう意思表示したことがあります。

 

 

 

 

 

 

 

■ 自分で動けば、情報は手に入る時代

 

 

それにしても感じることは、本当に便利な時代になったな~ということ。

 

候補者の演説や議論の場を、僕たちは今、「YouTube」や「ニコニコ動画」で簡単に見ることができます。

 

加えて、過去の政策はもちろん、主義主張もさかのぼって検索ができる。

 

それらの発言や一挙手一投足をもって、投票という判断根拠が作れることは素晴らしいと思います。

 

 

実際僕は、特にここ数週間、移動時間のほとんどを使って候補者の考えに耳を傾けることができました。

 

 

誰がいいのか分からないと簡単に発言することは、情報取得の怠慢だと言っているようなものだと感じます。

 

 

 

 

■ 僕たちが忘れてはいけないこと

 

 

それは、当然にように手にしている参政権という権利が、先人たちの命を懸けた闘いの上にあるという歴史的事実です。

 

 

「名前を書く」というのが僕たちの意思表示なら、「一命を賭す」というのが意思表示の形だった時代が、紛れもなくあったのです。

 

 

7月上旬にセミナープログラムの卒業旅行で訪れた、知覧特攻平和会館で見た数多の遺書。

 

覚悟と決死の意思表示を僕たちは忘れてはいけません。

 

 

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自分の意見が表明できる機会。

 

自分の意思が示せる機会。

 

 

 

コトの大小はどうであれ、貴重なものとして行使していきましょう!!

 

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