あの日の決断が、今の僕を創っているかもしれないということ | 日々成長・日々改善

コラム

あの日の決断が、今の僕を創っているかもしれないということ

■ 「人生は、選択の連続である」



池袋の予備校に通っていた18歳の春、英語の先生から聞いた言葉です。


今日勉強するのも、遊ぶのも選択。

今日復習するのも、寝てしまうのも選択。

今日予備校に来るのも、休むのも選択。



その選択の延長線上に、来年春の君たちの結果がある。


そんな趣旨のことを講師の先生は仰っていました。


当時の僕にとっては、強烈にインパクトのある一言で、今でも選択に迷った際に脳裏によぎる言葉です。






■ 「人生は選択の連続である」



去る終戦記念日、改めて、この一言を圧倒的に感じさせられる映画を観ました。


『日本のいちばん長い日』。(http://nihon-ichi.jp/





 







内容はぜひご覧いただきたいと思うのですが、

ここで僕が
強烈に感じたことは、

自分自身の人生とは、先人たちが行ってきた選択の上に、紛れもなくあるという事実でした。





僕の母の実家は、北海道の旭川です。


もし仮に、先の大戦の降伏決定という選択が、数日延びていたとしたら…、


ソ連は北海道まで進出し、日本はドイツと同じく、真っ二つに分断されていたかもしれません。


すると、山梨出身の父と母は出会う機会を失い、結果、僕は生まれることもなかったわけです。


更に父方の祖父は、戦車部隊として東南アジアに派遣されていたと聞きます。


「あと数日降伏決定が延びていたら死んでいたかもしれない」
と祖父が生前語っていたと父から聞いたことがあります。


もちろん、そうであれば父はこの世に居ませんので、結果、僕は生まれることもなかったわけです。





 

 






改めて、この「生」という奇跡的な事実の後ろには、先人たちの様々な感情から取られた選択があるということに、僕は圧倒されました。



すると…。

今自分の取る選択が、未来の誰かの人生に少なからず影響を与える可能性も否定できないわけです。



「人生とは、選択の連続である」。


あるべき選択が取れる、自分としての基準を創る。

改めて、学び続ける意義と、人格を磨き続ける必要性を痛感しました。





 

 


 

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